Three major difficulties on Nakasendo

中山道三大難所

「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」

 江戸時代、中山道は東海道と比べ、陸路が多いため渡場で止められることが少なく、安定して通ることができたので、比較的多くの旅人が往来しました。
 しかし、東海道と比べて伊勢湾の渡しや大井川のような大河の渡しなど危険な所が少ないとはいえ、険しい坂や激流の河川が旅人を阻みました。

 また、徳川家は天皇家との外戚関係を継続させるために、皇族や公家の娘を将軍の夫人にし、これらの姫君たちはいずれも中山道を通って江戸に向かいました。姫君の通行が多くあったため、中山道は「姫街道」とも呼ばれています。
 「太田の渡し」は中山道の三代難所の一つとして知られていました。
 古くは『吾妻鏡』に記されている「大井戸の渡し」が「太田の渡し」だと考えられています。
 13世紀以前に存在しており、交通の要衝としての太田の歴史は古くからあり、「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡にも唄われました。